水没 | 今日の「やっちゃいました」

水没

さて、肝心の伊東の水没事件です。

まずは背景の説明から

今回の伊東の旅は大学のサークル友達の中国駐在送別会として1、2ヶ月前から企画・準備がすすめられていた壮大なプロジェクトでした。そんな中、いよいよ1週間に迫ったそのころ、社長の目黒の豪邸(プール付き)でのプールパーティー企画が鶴の一声で決定し何と会社の人全員が参加するというではありませんか。しかし、既に友達のほうには既に行くといってしまっており、もう宿も取ってもらっている・・・いまさら行けないとも言えません。会社の人の冷たい視線がグサグサと刺さる中、断腸の思いで伊東行きを選択しました。

しかしこれが悲劇の始まりだとは知る芳もなく・・・この選択を後で散々いわれつづけることになります。


さて、そんな伊東企画は総勢10名以上が一同に会し、伊東の海で楽しんだ後、夜は貸し別荘でバーベキュー、花火、宴会、そして次の日はボートでのイルカウォッチングツアーまで企画されている素晴らしいものでした。


いよいよ出発当日。朝7時くらいに出発し友達を拾いながら集合場所の東名を目指します。


渋滞がひどく伊東に着く頃はもうビーチが閉まる1時間前。宿に行く前にとりあえず泳ぐことになりました。個人的には海より山派なので、久々の海です。


久々のビーチで期待は高まる一方です。

今回はビーチボールの代わりに友達がヨガボールを持ってきていました。


野郎どもが波打ち際で、お約束の「キャー、たっくん冷たい。やだー、もう」の図を展開しています。

周りの冷たい視線にも気づかぬ振りをして夏の思い出作りに必死です。

女子は女子で岸でシートを広げたりして早速マッタリモード。

そんな平和な時間も長くは続きませんでした。

そう

事件なんです。

姉さん!!!事件です!!!


例のヨガボールが皆から見捨てられ、気が付いた頃には風に流され沖へと向かっているではありませんか!!勇敢なA君がすぐさま救出へ向かいます。


しかし風は強く、A君の必死の泳ぎもむなしく、遊泳禁止区域のロープの外に行ってしまいました。その姿はまるで「誰に拾われるかわからないボトルメールの浪漫」さながら。


暫く遊んで、ヨガボールのことなんぞ忘れていたその時、その光景に僕らは目を疑いました。

なんと。

ジェットスキーに乗ったオニイサンがヨガボールを抱えて戻ってくるではありませんか。

これぞまさにホワイトナイト!!(=白い夜=白夜?、ではなく”クナイト”のほうです)。
ライブドア、フランス語っぽく読むと「オリエさん♪」もびっくりの想定外の展開。


しかし、オニイサンはジェットスキーのため、遊泳禁止のロープより中に入ってくることができません。

みんなはうれしさのあまり、われ先にホワイトナイトの元へ身元引き受けのために向かいます。

もちろん僕も。


ボールを受け取り戻ってきますが、なにぶん岸からの向かい風が強く、泳ぎながら同時にボールを風に押し戻たりとしているうちにだんだん疲れてきました。ボールに構っている余裕がなくなってきたので友達に託して先に岸に戻ることにしました。


この時点で結構ヤバめです。HPはかなり減り始めています。

向かい風のせいか全然前に進みません。

HPが赤に変わる頃、疲れてまず足が死にました。当然手だけで前に進めるわけもなく、

既に「生まれて初めてプールに投げ込まれた犬」状態。

(ヤヴァイ、マジでヤヴァイ・・。)


人間ってこんなに簡単に死のか。死ぬ直前の人の気持ちってこんなんか」と顔の半分のあたりを水が上下し、もがいているところを岸にいた女子が気づいてくれ、その声に反応した周りの男衆が駆けつけてくれました。4、5人で抱えられ岸に引き上げられます。


極度の酸欠状態のため意識は朦朧としながらも、「あー、助かったんだ。よかったまだ生きれる」と思ったあの安堵感は今でも覚えています。その場では友達にありがとうを言う気力も体力もありませんでした。


その場に横たわる姿を心配した友達はとりあえず救急車を呼んでくれ、搬送。

血液、CT、レントゲン等一通りの検査をした後、入院を宣告されました。

別途で検査結果を待つ間、ようやくちゃんと物事を考えられる精神状態になって初めて、今自分が生きていることのありがたみが身にしみてきます。自分がこれから生きる時間はこの人たちから与えられるものなんだと。

一度既に死んだものだと思えば、今後何ももう怖いものはない、そんな気分です。



結局その後入院は3日間に及び、会社休むことになってしまいました。

入院が数日にわたることが発覚したため、社長に連絡をしなければいけません。

しかしその日はなんと例のプールパーティーの日ではありませんか。

「おとなしくこっちに来ていれば足のつくプールで溺れることなんてなかったのに」

とその後暫くは言われつづけることになります。


案の定、先輩には「おまえ、あの時パーティーに着てたら、死なずにすんだのになあ」といわれました。
センパイ、僕まだ生きてますよ・・・・。たぶん。

僕のいない間、先輩たちの憶測はこんな感じでした。

「泥酔して、川にはいって、そのまま流されてヘリコプターで救助された」

「おぼれかけた友達を、勇敢に助けようとして結局自分だけおぼれた」

「おぼれるほどお酒を飲んで、急性アル中で入院した」

センパイ、むちゃくちゃです。

はあ、、、、

何で僕のやることなすことこうなってしまうんでしょうか。

親にはお払いに行けと言われています。

シンクロをやっている姉には一言「ださっ」と言われました。


今日の教訓

ヨガボールは使用上の注意をよく読んで、海で使わないこと

会社の行事には最優先で参加すること